中国歴史

清時代の中国の公務員試験 {科挙}Civil Service Examination in Qing Dynasty

今回は中国の公務員試験(civil service examination)、科挙についてお話します。

 

このシステムはとても中国的で、私個人的に好きなシステムです。

 

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清朝において、公務員試験はとても興味深く、大事なものです。

 

清の時代では、

学者(scholar) > 小作人(peasant) > 職人 (artisant) > 商人 (merchant)

の順にステータス分けされていました。

 

もちろん元から上の方のヒエラルキーに存在しているならそこまでステータスを気にすることはないのですが、商人だと何かと問題視されがちです。

 

商人は「他の人達が苦労して試行錯誤して作った物をただ売るだけのシンプルな仕事」として考えられていたので、当時のステータスとしては一番下でした。

しかし、そんな商人たちにも打開策があり、それがこの試験でした。

 

現代の日本と同じく、公務員試験というのは「この試験を合格する程の知識がある」という証明になり、試験を合格することによって、知識を認められステータスをあげられることができたのです。

試験はいくつかの種類にわけられており、家族(各一世帯)の中で一人でも試験を合格した者がいると、その世帯全体のステータスが上がる仕組みで、とても格式的であり、また格差的でした。

 

内容自体は、基本儒教に基づいており、文学的、哲学的、歴史的であり、文章の書き方やそのストラクチャーも大変重要視されました。

 

そして、最終試験さえも合格ができると、政府元で働くことができました。

これは一番トップのステータスと考えられており、これを取ってしまえばステータスとしては怖いものなしだったわけです。

 

しかし全員が試験に合格したわけではないので、不合格続きだった人たちは、教える側に回り、先生、チューター、もしくは家庭教師などになる人が多く居たようです。

 

ところで、一人でも合格者がいれば、その家族(世帯)は一気にステータスがあがるわけですが、しかし市民全員が受験ができるわけではありませんでした。

儒教の教えに従い、女性は一切の受験を許可されていなかったのです。

 

では試験の受けられない、選択肢が限られていた女性はどうやってステータスをあげたのでしょうか?

 

答えはとてもシンプルで、女性の場合は、結婚でステータスを上げるのが一般的でした。

 

ところでこれらは一般的な人々への試験でしたが、

兵隊用には兵隊用の試験があり、別に分けられてました。

なので彼らは基本的にこの試験を受けていなかったようです。

 

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男女しっかり身分がわけられており、また格差社会が際立っている当時でいえば、日本も中国も大差なかったかもしれませんが、特徴的なのはやはり儒教の教えに基づいた試験ですね。

 

いかがでしたでしょうか。

さっくりまとめてみました。参考になれば幸いです。