日常(アメリカ)

あなたのそれは失敗ではない。私のそれも失敗ではなかった

「失敗」とは何でしょうか。

  • プレゼンが上手くいかなかった
  • テストの点数が思った通りに行かなかった
  • 復縁出来なかった
  • 等々…

 

私自身つまずきは思い出すと悲しいくらいあります。

「こうしてれば、こうなっていたのに」

「。。。なっていたはずなのに…!」

 

私、筆者ぴこ、個人的には

ピアノ続ければよかったのに…!

数学伸ばせばよかったのに…!

拒食症にならなければもっと身体が成長出来たはずなのに…!

もっと身長が伸びたはずなのに…!

もっと部活動頑張ってしていればよかった…!

国内の大学目指せば早いうちに資格が取れたはずなのに…!

(人には言いませんが、正直すっごいいっぱいあります笑)

 

 

でも、気づいたんです。

 

アラサーになるまで、

「もしかしたら失敗は成功へのきっかけにしかすぎないなんてそんなわけないじゃん」

「今の頑張りがきっと報われる…なんて、努力次第」

「叶わないものは叶わない」

なんて自分のネガティブな感情を巡らせては自己嫌悪していましたが、

 

やっぱりアラサーになって、やっぱり「失敗の積み重ねは成功への近道だ」と思うようになりました。

 

考えてみると、

例えば

ピアノの先生になれたかもしれない、

どうして続けなかったんだろう、

今の自分には特技も趣味も何もない、と思ったとしても

 

ピアノを弾けるだけ弾けない人よりも長けているし、

その過去あって何かしら培われた能力が絶対あるわけです。

 

 

ぴこ自身、結果がすべて主義です。

 

ですが、ピアノの先生になる結果が果たして、本当にいいのでしょうか?

もちろん、それを本気で目指して、本気で叶えて、うれしい!よかった!と思えたらそれでいいですが、自分が同じようにそうあれると言えるでしょうか。

 

 

かなえられない夢に、ずっと後ろ向きに考えて、

キラキラした表面だけの、隣の青い芝生を見つめているだけ、という可能性はありませんか?

 

 

失敗とは、

自分の中の勘違い、偏見を取り除き、現実を見るプロセスであり、

そしてこのプロセスがなければ本当に洗練された、自分が求める結果にたどり着けないので、人は自分の求める成功まで、繰り返し学びの進化を続けるのです。

 

 

私個人的には、今の中高生が純粋で繊細な気持ちを持っている分、

”失敗”という言葉にとても敏感になっていないか、と心配になることがあります。

 

もしかしたら、この記事を読んでいる方は、純粋な方が多いのかもしれません。

 

私は、結果主義ですが、

何かに躓いて、傷だらけになるプロセスは、

誰にでも訪れているので、

自分だけが失敗してしまう、

自分だけがこんな目に、と思っている方も、

結果を出すのが早すぎるだけでまだまだプロセスの途中なのだと私は思います。

 

 

ネガティブを炸裂するのではなく、

カッと全身燃え滾るようなエネルギーを放ちながら、

 

なんぼのもんじゃい!

侍魂!

下剋上じゃ!!怒

 

の気持ちで頑張っていってほしい、と

私は思っています。